こんにちは、スーツケース1個で生きるライトネシストことアーメイです。
ミニマリストとは少ない物で生活する人を指すことが多いと思いますが、ボクは身軽(ライトネス)に生きること目的に生きています。
前回までの話をまとめます。
・元レベル上げが趣味のゲーマー
・インディーズバンド発掘隊
・元スパイダーマン収集家
・無料のマンガ喫茶状態
こんなオタク状態だった一人暮らし生活。
それがひょんなきっかけからゲームをすべて手放し、集めまくったスパイダーマンも簡単に人にあげてしまうような人間へと変貌を遂げたのでした。
【第1話から読む】
槇原敬之さんのおかげで物への執着から解放されたボクですが、すぐに物がなくなったのではなく、今の物量になるまでは少なくとも5年はかかりました。
(みなさんは本当に焦らずやってくださいね)
その頃はまだミニマリストなんて言葉はありませんでしたし、物に執着はなくなったにしても別に物を減らして生きる理由がなかったからです。
たくさんの人にとって大きなターニングポイントとなったであろうあの日までは・・・。
きっかけ③:場所への執着が恐ろしく感じたあの日
今回はボクがミニマリストではなく、ライトネシスト(身軽でいること)として生きようと思ったきっかけとして物の次に『場所に執着しない』という事を考えてみようと思います。
以前より多少は物が減っていたボクですが、さらにその行動を加速させたのは「身軽に場所を選ばず生きていきたい」という願望が生まれた事。
そう、そのきっかけはあの日でした。
「すべて失った・・・」そう感じる前に
日本人のすべてが多少なりとも『生き方』について考えるきっかけになったであろう、2011年3月11日のあの東日本大震災へと遡ります。
※被災者や大きな被害を受けた方へは先に謝ります。これから失礼なことを言います。あの日を思い出したくない方や不満に感じる可能性のある方はここで閉じてください。
みなさんの記憶にもある通り被災地はまさにカオスでした。
いえ日本中が。
その頃はすでに北海道に帰ってきていたのでボクの身の周りに大きな被害はありませんでしたが、そんなボクですらテレビから永遠に流れるACのCMを未だに忘れることができません。
多少の落ち着きを取り戻しテレビ番組が復旧し始めると、そこには家族を失った人、家を失った人、生業を失った人。。。たくさんの被災者の姿がありました。
その中でインタビューを受ける方が言いました。
「すべて失った」と。
それを聞いたボクの率直な感想はこうでした。
「(インタビューを受けてるその人は)自分自身の元気な体も残っているし、今まで生きてきた経験は奪われたりなんかしない。なんなら銀行の預金だって失った訳じゃないじゃないか」
分かっています。
ボクは被災者じゃないし、自分の周りに深刻な被害を受けた人がいないからそんな事を思えたんですよね。
「誰にとっても一番大事なのは健康な体。それさえあればどうにかなる!」
振り返れば被災者の方も今はそう思えるのかもしれませんが、その時ボクが感じた素直な気持ちはこれでした。
当時は激励の意味も含めて心ばかりの協力はさせてもらいましたが、それ以上に「どんな危機が起きても、自分自身に残された財産や価値を見失わないような強さを持ちたい」と気付くきっかけを与えてもらうことができました。
“ここ”に執着しなければ生きていく方法はたくさんある
非情にも被害はさらに拡大します。
地震で家が倒壊した人、津波で流されてしまった人、原発の事故で避難を余儀なくされた人。
テレビの向こうには無数の住む場所を奪われた人たちがいました。
先の見通しが立たない状態で続く避難所生活。
大変なストレスがあったと思います。
そんな絶望的とも言える生活を続ける人がまたインタビューでこう答えます。
「住む場所もないし、仕事もないしこれからどう生きていけばいいかわからない」
プライバシーがなく落ち着かない生活。
支援で配られるだけの食事。
衣類の替えだってなかったでしょう。
そんな方の言葉を耳にしてボクはさらにこう思います。
「北海道に来てくれればいいのに」
というのもボクが携わる建築業界は当時すでに深刻な人手不足で、人材の確保は大きな課題となっていました。
大工さんや塗装職人さんのように特別な技術を持った人はもちろん、物を運んだり除雪をしてもらったり簡単な物を取り付けたりなど助けてほしいことはいくらでもあって、まさにネコの手も借りたい状況だったのです。
(今もなお状況は悪化しています)
北海道だけじゃなく全国の建設業がそうだったはず。
住む場所を提供してでも来てほしい会社はあったはずですし、他の業種でも同じように「復興までの間だけでも来てくれないかな」と思っている人はたくさんいたと思います。
当時のボクにとって、しばらく以前のような生活ができない事が分かっているのにも関わらず、なぜその場所に執着するのかがとても不思議でした。
その場所でじっとしてても解決はしないじゃん!と。
そんなボクも最近小さい頃から一緒に暮らしてきた祖父や祖母を亡くし、自分の生きてきた場所がどれほど大切なのかという事をふたりを通し深く理解できるようになりました。
ボクが今こうして異国の地で生活できるのも『還る場所』があるからに他なりません。
ただ、あの時の被災者の言葉を聞いて「ある特定の場所でしか生きていけないというのは恐ろしいことかもしれない」と考えるきっかけになりました。
自然災害はもちろん、愛する人との死別や自分自身の病気やケガ、会社の倒産など人間には時として自分にはどうすることもできない災難が降りかかることがあります。
そんな時すぐに新しいスタートができるように準備をしておかないと、何か起こってからでは遅いのではないだろうかと考えるようになったのです。
ライトネシストの誕生「身軽に生きるには?」
それ以来少しずつ自分のやりたい事や目標と同時に、どうやって自分自身の生活を守っていくかということを考える様になりました。
以前のボクには自覚はなくとも、何かあっても誰かが手を貸してくれるという気持ちが頭の片隅にあったのでしょう。
「人にとって“居場所”とは何を指していうのだろう?」
「どこでも生きていけるってどんな状態なんだろう?」
「本当に捨ててはいけない物ってなんだろう?」
そんな事を考えている内にボクにとって『物と場所』、このふたつの執着心を持ち続けていることが途端に恐ろしく感じ始めていたのでした。
結局ボクが東日本大震災で学んだこと、感じたことはこんなことだったのです。
・何が起きても自分に残された価値を見失わない強さが必要
・永遠を約束された場所なんてどこにもない
・持ち過ぎた物は自分自身の首を絞めることすらある
こういった事が頭の中で整理されていく内に、還る場所(人)があることやたくさんの物に囲まれて生きていることが、本当に奇跡的な事だとも感じるようになりました。
今となっては誰もが知っているミニマリストという生き方ですが、こういった災害から「物は持ち過ぎない方がいい」と感じた人も多いのではないでしょうか。
でもボクは物は少なければ少ないほど良いとは思うことはできませんでした。
元々物は人の生活を豊かにするために生まれて来たはずですし、やっぱりヴィレッジヴァンガード育ちのボクは生活に必要のないもの全てをムダな物とは思う事が出来なかったのです。
「物も場所も大切、でもそれに執着はしない。
そう、何があってもひょうひょうとしていられるような身軽な人間になりたい!」
ライトネシストの卵が誕生した瞬間でした。
こうして物分かりの悪いボクは20代後半でようやく自分の生き方が見えてきました。
次回からはもう少し具体的な物や場所との付き合い方をご紹介していけると思います♪
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