こんにちは、スーツケース1個で生きるライトネシストことアーメイです。
・元レベル上げが趣味のゲーマー
・インディーズバンド発掘隊
・スパイダーマン収集家
・無料のマンガ喫茶状態
こんな状態で生活していたボクが「こんな自分に価値なんてない・・・」。
そう気付いて人生初の断捨離をしたというのが前回までのお話。
【1話から読む】
今回は2番目のきっかけとなる『物に対する捉え方が変わってきた』というお話をしてみたいと思います。
この話は「物を減らしたい」「ミニマリストになりたい」と考えている人にはぜひ読んでもらいたいです。
なぜなら物を減らすためには『物への執着を捨てることが先』というのがボクの考えだからです。
物を愛する事と執着することは別だったことに気付けたという話をしていきましょう。
きっかけ②:物を愛することと執着することは正反対
さて、前回の話で大量のゲームとさよならしたボクですが、もう一度想像してみてください。
ゲームから離れられたところでボクの部屋には何が残っているでしょう?
・大量のマンガがあります
・大量のCDがあります
・そして大量のスパイダーマンがいます
テレビ台周りがすっきりしたところで部屋全体で言えば微々たるものです。
この時点でも平均的なみなさんより、まだまだ物だらけなのは想像できますよね?
しかもその時はゲームとサヨナラしたかっただけで、物を減らしたかった訳ではありません。
そんなボクが次のステップへと進むきっかけとなったのは一体なんだったのでしょうか。
一体に8万円もかけてしまう収集家
ゲームの次に断捨離の刃が向けられたのはスパイダーマンたちでした。
今回はその話をしましょう。
中野ブロードウェイに通い詰めてスパイダーマンにハマってしまったボク。
毎週末のように足を運び「新しい物は入ってないかなー」と在庫をチェックするのが日課でした。
しかしコレクターではあったものの目指したのは量より質。
あれこれ買い漁るのではなく、欲しいのはある程度入手が困難な物。
当然そんな物を狙っていれば自然と高額商品に手を付けることになります。
レアな商品を見付けると、お金を貯める事と誰かが買ってしまう事の戦いが始まります。
最終的にボクの部屋には一番高い物で一体8万円くらいするフィギュアがありましたが、それを手に入れたときは本当にテンションがあがりました(部屋に飾るだけなのに笑)。
世界で500体(たしか)しか製造されていないスタチューと呼ばれるフィギュアで、今でもその重みをリアルに思い出せるほどです。
そんな大切なスパイダーマン。
その彼とのお別れの日が来て、更にその出来事こそが今の自分に繋がるとは思ってもいませんでした。
物の価値を維持するために必要な本当のメンテナンスとは
それから数年後・・・
相変わらずの一人暮らしでしたが、中野を離れたことで収集家としての活動も落ち着いて来ていました。
そんなある日スパイダーマン収集家であることを知らない友人が、ボクの家に遊びに来ることになって、部屋に入るなりこう言うのです。
「これめっちゃレアなヤツじゃん!どこで手に入れたの?いいなー!」
友人もスパイダーマンが大好きだったのです。
例の8万円くらいするフィギュアを見つけるなりそう叫ぶと彼の品定めが始まりました。
「やばー」
「初めて生で見た」
「すげー」
初めてその価値が分かる人に出会えたことがとてもうれしかったのを覚えています。
きっとその時のボクはなかなかのドヤ顔でそれを見守っていたことでしょう。
結局その友人は帰る時までずっとそれを「いいなーいいなー」と言っていました。
友人が帰った後、改めてそのスパイダーマンを見てみるとあることに気付くのです。
「ホコリだらけじゃん・・・」
購入した時は嬉しくていつもハタキでホコリを落としていましたが、毎日当たり前に部屋に存在するようになって当時感じていた8万円の価値は完全に薄れてしまっていました。
「人間は生活の中で当たり前に存在するものに対し、同じ価値を感じ続けることはできない」
これは未だにボク自身が物に対して持っている真理です。
「念願のレクサス!ぶつけない様に安全運転!」なんて最初は思ってもいつかはトヨタと同じようにアクセルを踏むようになる。
「どうしてもこれがいい!」と言って買ってもらったティファニーの指輪も、数年後は飲み会から帰ってくるとその辺にぶん投げられている。
もちろん物を大切にし続けることができる人もいますが、やっぱり放っておけばその価値は薄れていってしまいます。
大切な物を大切だと感じ続けるためには、まず自分自身の愛情そのもののメンテンナンスが必要。
むしろ物のメンテナンスというのは、その愛情を持ち続けるためにしていることなのです。
ホコリだらけの8万円のスパイダーマンはそんな事をボクに気付かせてくれました。
物の幸せはより価値を感じる人の元に居られること
運命ってうまくできてますよね、友人が遊びに来た数日後ボクはYoutubeである曲と出会います。
まずはよく歌詞を読みながら聞いて欲しいです。
槇原敬之さんの『僕が一番欲しかったもの』という曲。
主人公は人生の中で何度となく素敵なものを手に入れますが、気がつけば隣にはそれを欲しがる人が。
主人公は悩みながらも「ボクよりもこれを必要としている人だから」といつも自分の持っている物をあげてしまう。
そんなことを繰り返す間に結局自分の手の中に何も残っていない事に気付くけど「人が喜んでくれる姿こそが僕の一番欲しかったものななんだ」と気付く、そんな歌詞です。
ボクはその動画を見た数日後、8万円のスパイダーマンのホコリをキレイに落とし、箱に詰めると友人の元に行きこう言っていました。
「これ、あげるよ」
突拍子もない行動なのは自分でもちゃんと理解していますし、友人も素直にはそれを受け取ってくれませんでした。
でもボクはこう続けます。
「これを売ればもしかしたら5万円くらいのお金にはなるかもしれない。でもオレがこれを買ったときと同じように、もし君が8万円の価値を感じてくれるならこいつは価値を落とさないことになる」
「物にとっての幸せはより価値を感じてくれる人の元にいることだよ」
そう伝えると彼は納得してそれを快く受け取ってくれました。
彼がそのスパイダーマンに価値を感じなくなったらまたそれを「すげー!いいなー!」と言ってくれる人にあげればいいだけの話です。
そうやってボクの物への価値観は槇原さんの曲のおかげで一瞬にして変わってしまいました。
『物にとっての幸せは、価値を感じてくれる人の元にいること』
それに気付いてからは物に対する執着心がなくなり「あれも欲しい!これも欲しい!」という欲望は薄れていきました。
自分自身が持っている物に対しても独占しておきたい気持ちより必要としてくれる人の元へという気持ちが強くなり「気に入ってくれたならあげるよ」が口癖になっていました。
持っている本を貸して「これ面白いね!」と言われれば「ホント?じゃああげるよ!」
オススメのCDを貸して「このCD普通にタワレコに行けば売ってる?」と言われれば「買うの?じゃああげるよ!」
自分が持っている物に価値を感じてくれるほど嬉しいことはない。
あげた後にまた手にしたいと思ったならもう一度買えばいい。
愛してると気付けたことと友人が喜んでくれたことを考えたら、同じ金額で得られる価値は以前より大きくなっているんだから。
物にとっての幸せを考えるなんて馬鹿げてるかもしれませんがボクにとって『物への愛=執着ではない』ことに気付けたきっかけでした。
今回はこの辺で。
身軽に生きるということは物を減らせばいいだけではありません。
次回は“場所”についてです。
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