ボク達人間は日々、ニュースやネット、テレビ、読書などによってたくさんの知識を得ています。
しかし知識はたくさんあればそれでいいのでしょうか?
いえ、それを元に何かしらの変化を生まない限り知識に意味はありません。
それは言葉だったり、行動だったり、生き方そのものだったりします。
本から読んだこと、経験によって解ったこと、人が教えてくれたこと。
それらをどのように昇華させて行くことが、知識としての質をレベルアップさせることに繋がるのか。
そんなことを考えていくとある1つのキーワードに行き着きました。
それは『食事』でした。
誰もが生きる上で必要な“食べる”という行為にそのヒントはありました。
順を追って説明していきましょう。
この食事のプロセスをレベルで分けるとこうなります。
【食事のプロセス】
レベル1(摂取):食べること
レベル2(吸収):消化すること
レベル3(変換):そのエネルギーを元に行動すること
これを知識のレベルに当てはめるとどうなるでしょうか。
【知識のプロセス】
レベル1(摂取):知ること
レベル2(吸収):理解すること
レベル3(変換):その知識を活かしアウトプットや教えることができること
このように摂取から変換までが一連のプロセスと呼ぶことができると思います。
ここで1つ気付く重要なことは、レベル2とレベル3の間には大きな差があるということ。
食事のプロセスにおいてレベル2(吸収)まで行えば十分と言えるでしょうか?
NOですよね。
それでは人は蓄えただけのエネルギーでブクブク太って行くだけでしょう。
知識のレベルにも同じことが言えるのではないでしょうか。
冒頭でもお話しした通り、ただ理解するだけで何かに変える(変換)方法を持たなければ何の意味もありません。
情報デブという言葉がありましたが、言い得て妙ですね。
とは言ってみても知識のアウトプットは簡単ではありません。
それは食事と違って変換の方法が無限にあるという点。
例えば、数字という知識だけとっても計算するため、人に伝えやすくするため、原則を理解するためなど使い道は様々です。
人に教える、誰かに伝える、行動の質を上げるなどアウトプットの難しさからつい理解すること(吸収)だけで満足してしまいそうになります。
しかし再三になりますが
レベル2(吸収)までで終わるプロセスに意味はありません。
今日知ったこと。
本で読んだこと。
インターネットで見つけたこと。
なんでもいいのでまずはブログに書いたり、身近な人に話したり自分なりにまとめたものを外に出してみるべきです。
それが間違っていてもOK。
それを否定されてもOK。
知った知識を自分の中に閉じ込めて間違いに気付かなかったり、ひとつの意見だけを盲信する方がよっぽど知識に殺されている状態ではないでしょうか。
知識のレベルを食事に置き換えてレベル3(変換)まで持っていく。
自分が思いつく方法でいいのでまずは自分の外に出してあげてみてください。
知識のデブになってしまわないように。
付け加えるならレベル4(排泄):不要なものを捨てることも新しく何かを得ていくためには必要な行程ですね。
終始マジメな文章でボクも疲れました。
あーこのまま何か食べて寝てしまいたい・・・